2026.08.12

「任せる」は怖い。でも任せないともっと怖い話

最近、自分の中で少しだけ変わったことがある。それは「任せることへの恐怖」と、ちゃんと向き合えるようになったことだ。

3店舗を動かしながら、アイドル事業もイベントも並行してやっていると、物理的に自分が全部見ることは不可能になってくる。わかってはいた。でも正直なところ、ずっとどこかで「自分が確認しないと不安」という感覚が抜けなかった。

先月、あるキャストのシフト調整でちょっとしたトラブルがあった。店長が動いていたのに、私が後から口を出して、かえってグチャグチャにしてしまった。店長には「さっき私が決めたのに、また覆された」という顔をされた。当然だと思う。完全に私のミスだった。

そのとき初めて気づいた。「信頼して任せる」と言いながら、結果的に「全部自分が正しい」という前提で動いていたんだ、と。これは任せていない。ただの確認作業の丸投げだ。

経営者は仕組みを作る人だと、ずっと言い続けてきた。自分がいなくても回る構造が理想だと。でも実際には、自分が一番その仕組みの邪魔をしていた。

製造業の経営をやっていた頃も、同じ失敗を繰り返していた気がする。コンカフェという全然違う業態に来て、また同じところでつまずいている。人間はそんなに簡単には変わらないな、と苦笑いする。

「任せる」には段階がある。最初は細かく確認する。慣れてきたら報告だけもらう。信頼が積み重なったら結果だけ見る。この順番を焦ってはいけない。でも焦らなさすぎてもいけない。そのバランスを取るのが本当に難しい。

今は、店長たちと「どこまで自分で判断していいか」をちゃんと言語化する作業をしている。曖昧にしていた判断基準を、一緒に言葉にしていく地味な作業だ。派手じゃないけど、これが一番大事なんだと今は思っている。

キャストのみんなが「辞めたくない」と思える店を作りたいと言い続けてきた。それって結局、現場が安心して動けることだ。上が細かく介入してくる職場は、居心地が悪い。私自身がそういう環境を作り出していたとしたら、本末転倒もいいところだ。

8月に入って大須も観光客が増えて、各店舗とも賑やかな日が続いている。店長たちがちゃんと回してくれているのを見ると、素直に「すごいな」と思う。私がいない時間の方が、実はうまくいっていたりする。それは悔しいというより、正直ホッとする感覚の方が大きい。

任せることは、相手への信頼表明だ。同時に、自分の不完全さを認める作業でもある。42歳になってやっとそれが腑に落ちてきた。遅いかもしれないけど、今気づけたのならそれでいい。